産婦人科女医の独り言

つぶクリ院長のつぶやきです。ためになる保証はありません。

競争社会

(コバ院長、その格好で診療はちょっと・・・)

親戚の子の通信簿を見せてもらって、オドロキました。

『○○が大変よくできました』

『たくさん手をあげて発表できました』

『○○に一生懸命取り組んでいました』

『ユニークな発想ができて、これからが楽しみです』。 等々・・・


・・・・(?_?)



わかんねーよ。




出来る子なのか、出来ない子なのかがぼやけちゃってます

まぁ このご時世、いろいろとムズカシことも多くて、はっきり「甲・乙・丙・丁」をつけることが難しいことは想像に難くないのですが


現実から目をそむけているだけじゃね?


と、思うのは私だけではないと思います。

成長するにつれて、嫌が応にも競争社会に巻き込まれていく(であろう)のですから、

いくら小・中学生といえども、

成績をオブラートに包んで伝える必要はないのではないかなぁ〜と考えるのです。

(必要以上に、発表することはしなくていと思いますが。)

その延長線に、「個性を認める・伸ばす」ことがあるのではないでしょうか。


話変わって、秋です。

「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」などと言いますよね。

私が子供の頃には、9月ともなると運動会の練習にたくさん時間を割いた記憶があります。

ダンス、徒競走、入場・退場行進、 そして一日を費やした予行練習・・・・

私は、運動が苦手だったので(運動音痴、と言っても過言ではない。)、苦痛な時間でした。

運動会当日も、 外で食べるお弁当とか落ち着かないし〜〜 と考えちゃうインドア派でした。

大人になって、↑このことを友人に話したら、

「私も苦痛だった。勉強ができてもあからさまにしないのに、運動が出来る人は何故あんなにあからさまな発表の場があるんだ!?と、理不尽に思った」

・・・と、理論的に解説されて、目から鱗が落ちました。

人に優劣をつけることは良くないこともあるけれど、

大人になったら結局 競争社会に放り込まれるんだから、子供の頃から少しずつ現実社会に適応できるよう慣らすことも必要なんじゃないかなぁ?

と、小中学生の通信簿をみて思った院長でした。

大人になるにつれ、嫌でも直面するよ、自分の評価・限界に。

美男美女には異性がわらわらと寄っていくけど自分の周りには同性ばっかりだったり、

テストで60点以上とらないと、留年の危機を迎えたりするんだもんね。


・・・そんな訳で、今月のコスプレ。

おおっ! 今時珍しい六組!

(面倒だからズボンを省略したら、「ハダカにゼッケン」と不評。)

(あ〜 あまちゃん が終わってしまう。。。)